生命保険は何のために加入するのか?【死亡保障は自分のためではない。】

 先日、保険の面談をした時の話。
 
お客様は子供が1人いる20代の若い夫婦だった。
その夫婦の内の夫が、保険営業マンである私にこう言った。
 
夫「ぶっちゃけ、生命保険に入る気はないです。だって保険に加入すれば、保険会社と営業マンは儲かるでしょ。てことは、俺たち(客側)は絶対損しますよね?保険て構造的に客が損するとネットで見たので。」と。
 
なるほどと。なかなか正論言うやんけと。正論というか当たり前すぎる話。
なぜなら、保険会社や営業マンが儲かっていることは事実であり、てことはお客様が払う保険料の内のいくらかが会社と営業マンの利益になっているから。というか、世の中の他のものも全部、そうでしょ。すべてのものに、手数料が乗っけられて売られている。焼き鳥食べても、原価で売られてるはずがない。タピオカミルクティーなんて原価の10倍で売られている。

(面談時、この夫婦は片手に飲みかけのタピオカミルクティーを持っていた。)

勿論、タピオカミルクティーと保険、どっちがぼったくりですか?タピオカミルクティーの販売員と会社が儲かるのはいいんですか?とは聞いていない。


 
そして保険の場合、お客様から貰う保険料の約40%が保険会社のお金になっている(会社、商品によって違うが、大体こんな感じ)。
 
つまり、何万人(何十万人)から1000億円、集めたお金(お客様の保険料合計)の内、600億円を保険金で出し(運悪く死んだり、高度障害になった人に払う)、400億円が保険会社や営業マンにいく。400億円の内、会社の維持費、人件費など引いて残ったお金が利益。
 
つまり、確率で言うと、若くして死亡、高度障害になる可能性は低いので、多くの人は経済的に見れば損をする。
逆に、運悪く死亡、高度障害になった人は経済的に見れば得をする(多額の保険金が入るので)。
 
生命保険の本質と構造は、「みんなでお金を出し合いましょう。その中で運悪く、死亡、高度障害になる人は一定数(少ないが)出てくるので、その不幸なお金に困る人に、、みんなで出し合ったお金を払いましょう。」というものである。
 
つまり、「確率論」で言えば損をする。若くして、死亡、高度障害になる可能性は低いから。
 
が、もし自分が若くして死亡、高度障害になればどうか。上の例で言うと夫が死亡すればどうか。
シングルマザーになる。夫のこれから何十年と働くであろう、そこから貰える給料がゼロになる。2億から3億の生涯貰えたであろう給料がゼロになる。 いくら国から遺族年金が出るといっても、数千万から1億円くらいは、経済的に損になる(夫が生きて何十年と働いた場合と比べて)。
 
では、この数千万から1億くらいの「失われたお金」は、誰が負担するのか?
 
答えは、「残された妻」である。
 
残された妻が今まで以上に働き、お金を多く稼ぐか、生活のレベルを格段に下げるか、もしくは両方か。直接的に子供の生活にも関わってくる。
 
この時に「生命保険の価値観」が出てくる。
 
確率は低いが、もし自分が若くして、死亡、高度障害になってしまった際、数千万レベルのお金を、
①自分の配偶者に背負わせるのか
②自分で生命保険に加入し、数千万のお金を保険会社からぶんどるのか
 
はたまた、若くして死亡、高度障害にならない大多数の確率にかけ生命保険に加入しないのか。(この場合、運悪く死亡、高度障害になると結局①の配偶者に背負わせるになる。)
 
まとめると、生命保険は「自分のためじゃない」ですよと。あなたはもう死んでますよと。「残された自分の配偶者のため(子供のため)に加入するのか」の話。

 

「保険」が好きとか嫌いとかという話ではない。というか保険が好きな奴なんていない。いたら変人だ。好きではないが、必要性を感じ加入しているのである。
 
 
保険会社や営業マンが儲かるとかではなく、保険会社の利益構造の話ではなく、「あなたが、自分の配偶者のために生命保険をかけるかどうか」の話。「残された配偶者がお金に困るかどうか」の話。
 
※お金持ちは生命保険は必要ない。残された配偶者もお金に困らないから。
 

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